「ありがとう」という感謝の言葉は、
「有り難し」(、つまり、有ることが難しい、滅多にない)に由来するそうだ。
滅多にないことが起こる。滅多にお目にかからないものが手に入る。
「滅多にない」には、どこか自分以外の力、例えば他力だったり幸運だったりが働いている感じがする。
自力でできたり、起こることを少しでも期待していたりしたら、「滅多にない」とは言わない。
想像だにしなかったハッピーなものやことが生じる、
そのとき人は、誰かや何かに「有り難し」と両手を合わせて感謝するのだろう。
長く教育をやっていると、多くの家庭を垣間見ることになる。
その中で痛感するのは、「当たり前」が決して当たり前でないということ。
朝起きて、学校に行き、友達と話し、宿題をして、部活に出て、ご飯を食べ、夜眠る。
小学校、中学校、高校、そして大学に進学し、就職し、家庭を持つ。
この「普通」の生活や進路が、決して普通でないことを、
私は子どもたちや親御さんから教わることができた。
心がしんどくて全く眠れない、食べたものを全部戻してしまう人。
感受性が高すぎて人との会話がどうしようもなく苦手な人。
思考が深すぎて何気ない選択1つにとてつもなく時間がかかってしまう人。
特性を持っていて、自力では何もすることができなくなってしまった人。
お金がなくて多くのことを諦めなければいけない人。
学校に行けなくなった人、受験を断念した人、突如として両親を失った人。
私たちや私たちの日常は、非常に不安定な釣り合いの上にあって、
いつ何時、そのバランスが崩れてもおかしくない。
「当たり前」や「普通」と私たちが呼ぶものは、実に有り難いことなのだ。
私たちが平和ボケしているせいで、目を凝らして見つめようとしないせいで、
誰か何かによってもたらされているこの滅多にない日常に、
両手を合わせようとしないだけなのだ。
私たちの今この瞬間が、想像だにしない幸福な時間であることを実感しましょう。
感謝は、想像することによってのみ可能なのです。
このところ入試を迎える子どもたちが多い。
受験期の家庭は不安定だから、親御さんや子どもたちから相談を受けることも多い。
なんて幸せな悩みなんでしょう。
不安や緊張感を持ちながらも受験に臨めるって、素敵ですね。
受験を迎えられて本当によかったですね。
結果がどう転んでも、自力でなんとでもできるから最高じゃないですか。
どうか感謝の気持ちをお持ちください。
私はそんなトンチンカンな返答をしては、親御さんを困らせるのだった。
さて。明日は感謝して、楽しんでやっといで。