一石

一石

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こんにちは、UTUWAの長坂です。

 

 

先日、安部ちゃんに「ととのう」を教えてもらいにサウナへ行ってきました。

サウナと水風呂の極限状態からの外気浴が、特に今の季節がらか猛烈に良かったなぁと思っています。

運動したわけでもないのですが、程よい疲労感といいますか、気づいたら眠るくらいには心地よい時間を過ごしました。

 

あまり情報を入れなかったのも良かったなぁと思いました。

スマホがあるとついつい使ってしまって、情報に溢れちゃう気がするのですが、

考え事とかもあんまりせずに、ボケーっとできたのがとても良かったです。

 

 

意図して隙間を作ることは、目まぐるしい今だからこそ大事な気がします。

 

 

 

 

 

 

 

さて、ついこの間夏休みかと思えば、9月も終わりかけ、10月に手がかかっていますね。

 

 

学校にもよるとは思いますが、指定校推薦やら公募推薦の動きが活発になって、国語科の先生がてんてこまいになるような季節です。

志望動機、小論文に頭を悩ませる人もいることでしょう。

添削されて帰ってきたら真っ赤っかなんてこともあるかもしれません。

 

 

「国語が苦手」

 

 

“読解力が低下している”なんて毎年毎年言われ続けているような気がしますが、

果たして「読解力」「国語力(母語力)」とはなんなのでしょう。

 

 

読解力とは文字通り、読み解く力。筆者と読者の見ている景色を
同じくしようとする行為を指すのかなと思っています。

 

 

ではそこで何が必要なのかというと、言葉への理解や経験なのかなと。
言葉の理解と言う意味では、母語力も関わってきそうな印象もありますね。

 

 

私という人間と筆者は全く違う人間(今や人間ですらないかも)で、
完全に一致する状況状態を経験想像することは不可能だと思っています。

 

ただ、自分の理解や体験に照らして、似たような物事を当てはめて想像をすることは可能で。
そしてそれが正解ではないから、また他の誰かと共有することでその理解を深めていく。

 

 

この一連の流れにはいろんな要素が組み込まれています。

 

 

まずは体験すること。見る、聴く、感じる、におう、味わう。
まるで赤ちゃんがしゃぶりつくすように。

 

そして思い出す、思い浮かべること。目の前に存在しないものを頭の中や瞼の裏で描いてみる。
ちょうど夢を見るような感覚かもしれません。

 

その感覚に一番近い言葉で表してみること。間違って伝えたくはないから、
やっぱり調べたり、別の体験をすることもあるといいのかもしれません。

 

そして伝えてみる。勇気がいるけど、単語だけではなくて、なるべく何がどうしたのかを文章にしてみるといいと思います。

 

それから聞くこと。自分だけじゃなくて、相手がどう思っているのかを受け止めること、そういう雰囲気や場を作ることが大切だと思います。相手が話している間は、何を思ってもまずは聞く。

近しい関係になればなるほど、疎かになりそうな気がします。僕も気をつけます。

 

 

 

 

 

 

とまぁ、長々と書いていますが、

サウナに向かう道中でスマホの話になったのがきっかけで色々と考えるに至りました。

この10年で、電子デバイスやインターネット、それに伴うサービスは当時想像だにしないほどに、歩を進めています。

得られる情報は圧倒的ですが、溢れる情報に負けて本当に刺激の強い出来事、情報しか届かない、

いや、興味がない体質になっている世代がデジタルネイティブの世代のような気がしてなりません。

もちろん全員がそうというわけではないですが。

 

 

刺激の強いものを”受容させ続ける”ことは、能動的に捉え、発信することがないので

会話も「やばい」「えぐい」「ガチか」で終わってしまうのだと。

英語にしたら、「Oh!」「Seriously!」「Really?」で終わってる感じです。

 

 

自分で考えることをしない、できない、教えないにも関わらず

学校教育、あるいは塾も「論理・思考だ!!!」とかいって躍起になっている。

皮肉なことに、その日限りの単純暗記が得意な子たちが育っていますよ。

 

 

でもそもそものルーツはやはり一番時間を共にする家庭にあるように思います。

今日、息子さんあるいは娘さんとどんな会話をしましたか?一緒にご飯を食べましたか?怒鳴ってはいませんか?

学校では、部活では、お友達と、何があって、どんな風に感じたのか、何がしたいのか、何ができるようになったのか、聞けていますか?

忙しいことを言い訳にしていませんか。

話してくれないのではなくて、そもそも聞こうと思っていないのではないですか。

親代わりと言ってスマホやタブレットを与えていませんか。

 

 

子供たちは何にも縛られることはないし、どこかの誰かの所有物ではありません。それはたとえ家族でもです。

 

 

 

そんな生意気なことを考えつつ、口の悪い自分はそれ以前の問題だなと、反省しつつ終わるとします。

 

 

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