最近、心が辛いんです。しんどくて…。
そんな声をよく聞くようになった。
最近とくに、悲しいことが多いし、おまけに天気も悪いし、
なんとなくずーん、と沈んでしまう。
でも、「社会」は待ってくれなくて。
どんどん「先」へ「先」へと急かしてくるし、
気持ちが落ちても、なんだか立ち止まりにくい。
特に真面目で誠実な人ほど、周りの目や自分への厳しさのせいで、
無理やり歩いて行こうとするもんだから、
なおのこと、苦しくなるんだよね。
そういう人ほど、感受性が高いから、余計に心に傷を負ってるのにね。
だからなおさら、余計につらい。
うーん、やっぱり、
なんか生きづらいよね、この「社会」って。
しんどいときこそ、よくわかる。
そんなときこそ、
やっぱりちょっと立ち止まった方がいいかもしれない。
「社会」って何だろう?
なんで「社会」に歩調を合わせなきゃいけないんだろう?
「先」ってどこ?
「先」に進まないとダメなの?
疲れているときこそ、
暇をとって、すこし落ち着いて考えてみよう。
(もちろん、何も考えずに休むだけでもOK)
「社会」が要求するスピードと、
「社会」が指し示す方向に、
自分のリズムや方向性が合わないのは当たり前なわけで。
僕らはそれに仕方なく合わせているだけなのに、
いつの間にか「社会」自体が正解で、
自分たちはそれに合わせないといけない、
そのペースや方向性から逸脱でもしようものなら、
自分を「落ちこぼれ」だと蔑んでしまう。
でも、当たり前の話だけど。
みんなが「そっち」に向かって歩いてるからって、
自分も「そっち」にいく必要なんてない。
みんなが歩き続けてるからって、自分も歩き続ける必要もない。
僕らは好きにいくらでも立ち止まっていいし、
好きな時に自分のペースで、好きな方向に、また歩き始めればいい。
僕らは、少なくともこの記事を読んでいる人の多くは、
自由な生を与えられた存在なのだから。
もっと思うままに、もっと思いのままに呼吸していい。
第一、「社会」のペースと方向に合わせて、
どんな「いいこと」があるんだろう?
自分のこと、自分の気持ちを無視してまで
歯を食いしばってまでたどり着いた「先」に何があるんだろう?
大事なことをを見失って、大切なものを失ってないだろうか。
自分の幸せは、自分の中にしかない。
もっと自分の声を、聞いてあげてほしい。
もっと自分の思いに、自分の心に寄り添ってあげてほしい。
そのための暇が、必要なんじゃないかな。
自分を大事にする暇を、あえて取ってもいいんじゃないかな。
少し休もうか。