ファスト化の良し悪し

ファスト化の良し悪し

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食べ物や衣服だけでなく、いろんなものがファスト化している気がする。
ずっと昔から言われているのかもしれないけれど、
このままでだいじょうぶなのかなぁ、と漠然とした不安にかられる時がままある。

 

 

なぜこんな事を思うのかというと、
ある写真家さんがコメントと共に写真を現像してくれる企画の中で、
「写真家さんの写真集や映画を見てみて」というコメントが多かったから。
まぁその中にも良し悪しはあるのだと思うけれど、
「好きなものをじっくりと味わい尽くして」という意味だと思っている。

 

 

食べ物や衣服と同じように、
動画や写真を撮ること、そしてそれを発信していくことがどんどん一般化してきている。

 

 

それ自体はすごくいいことだと思う。
触れる機会が増えることで、その人ごとの視点、訴求したいものを容易にoutputできるし、知ることも可能だ。そうした中で興味や関心を持って、自分のできることとやりたいこととの整合性をとって、未来に繋げることもできると思うから。

 

 

問題は受け手と学び。

 

 

TVや雑誌などは、しばしば元の情報からの切り取られることから、
本来の文脈や、意図していないような情報として取り扱われることがある。

 

 

映画や動画も、本来は最初から最後までが制作者の意図するポイントであるが、それらを切り取る文化や、動きのある情報しか見ないといったことをよく耳にする。
喋らない部分、表情のみのやり取りを早送りするとか、切り抜きとか。
わかりやすい部分しか受けたがらない。

 

 

「コスパ重視」というのもあるのかもしれないけれど、得られるものは
「話の内容がわかる」「話題についていける」程度なんじゃないか。
当たりを見つけにいくとかなら、それこそなおさらじっくり見てくことが必要なんじゃないかと思う。
突き抜けてる人も、別に突き抜けようと思ったのではなく、気づいたらここにいたくらいの感覚なんじゃないか。

 

 

学びという点においても、手軽に触れられる機会があるので、
(こういうと語弊があるかもしれないが、)”ホンモノ”を知らずに、
正解とはいえない情報を鵜呑みにして、量産型を生産するようになり得る。

 

 

「ホンモノの定義は?」と言われると、難しいのだけど。
でも今の所「プロ」と言ったもんがちな風潮がある気がして。
目にしやすい、耳障りの良い、それこそお手頃で美味しいファストフードを、箱を入れ替えてブランディングして、さも自分のだけどと言わんばかりに売り出すような。そしてそれに感化されて…と。

 

 

かくいう僕もそういうお手頃なものを見て、自分の作品だと思い込んでいる節があった。
素敵だなと思った感覚は間違いじゃないと思うけれど、「うまさ」を求めすぎて本質的な「よさ」をわかっていなかったように思う。

 

 

直接的な表現それそのものが悪というわけではないのだけど、
それが当たり前になって、「不親切だ」なんて言われる日には、
「あぁ…」とため息を吐くことになるだろう。
(この”三点リーダー”と”ため息”もわからないものの一つになるかも。)

 

 

考える余地にこそ人間的な営みがあって、
あーでもないこーでもないと話し合えること。

 

 

いつかどこかで話した「マヨネーズの瓶とコーヒー」の話ではないけど、
本当に大事なもの、大切なものにフォーカスすること。
コーヒーを飲む時間はあるということ。

 

 

そんな時間を愛おしく思えればいいんじゃないか。

 

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