こんにちは、UTUWAの長坂です。
なんだか季節から秋が抜けてしまったような気候ですね。
この季節、気温で僕はマラソン大会とかを思い出すんですが、皆さんはどうですか?
そういえば最近走ってないなぁと、本当に軽めにジョギングしてたんですが、
バキバキに筋肉痛になって、年齢と運動不足をひしひしと感じます。
このところ、素敵な本や記事に出逢え、それについて他の講師たちと話し合う機会が多く、改めて指導のスタイルが変わりつつある気がします。
「正解」に拘らなくなった、とでも言いましょうか。
受験やテストなんかをみていくと、どうしても点数至上主義のような
「正解」を求める思考になります。
UTUWAも多くの受験生がいるので、そういったことにフォーカスしてしまうことがままあります。
自我が形成される時期にそういった環境に置かれがちなので、
私たちの多くは「正解」を求めるし、「間違い・失敗」は史上最悪で根絶せねばならぬものと鼻息を荒くしています。
かくいう僕も、かなり失敗をしたくない脳の人です。
劣等感や存在意義に疑問を抱きだすので、中々大変です。
それ自体が悪いというわけではないのですが、
偏ってしまうと生きにくくなってしまう側面もあります。
そんな中でも、徐々に考え方を変えていけているのは
主体的に行動できることそれこそに意味があって、
正解不正解はそのオマケでしかないということ。
また、本来「学び」は楽しいものだと信じているからかもしれません。
結果云々というより、その活動自体にワクワクが止まらないし、
成功も失敗もないくらいに、それに没頭できるものだとも思うからでしょう。
少なくとも点数や期限、評価に怯え、他者と比較したり、失敗の強迫感にかられて活動したりするものではないと思うからです。
音楽や写真に魅力を感じるのは、そう言ったルーツがあるからなのでしょう。
あとは感覚的に、経験できているからというのもあるかもしれません。
以前にもお話ししたかもしれませんが、
僕は、学生時代勉強に興味を持てず、大学受験は志望校に合格できませんでした。
結果を切り取れば「失敗」ですし、自分でもそう感じていました。
でも長い目で見ると、振り返ればそこで出会った友人や先生とのやりとりがあって、
今の価値観を持った自分が形成されていると思うと、
「何が失敗だったのか?」と思えたりします。
こうしてUTUWAにいることもなかったかもしれない。
結果を選ぶのは自分自身だし、どう解釈するかも自分自身。
そうした感覚が、生徒との向き合い方や、人との向き合い方を改めて考えるきっかけになっています。
そうすることでメンタル的にも余裕を持てます。
余裕を持てると、その状況を楽しむことが出来ます。
楽しいから自分で動こうとするし、やらされるよりも遥かにいろんな物事を吸収できる。
君のためにも、自分のためにも
そんなスタンスを忘れないでいきたいです。
最近ちょくちょく実家に帰るのですが、
安定して可愛いですね、癒されます。
帰るときは「長生きしてな」と挨拶を交わします。
「にゃあ」
なんて返してくれてるかは、わかりません。