おととい、うちのたくみくんが、
トマトを無理やり食べさせられる夢をみたそうです。
トマトが大の苦手な彼にとっては、それはまさに悪夢。
相当つらかったことでしょう…
奇遇なことに、私も同日、
生のニンジンを、かじり続けなければならない夢を見ました。
生のニンジンはそこまで得意ではないので、
吐き気と共に目が覚めました。
記録は、19本と半分でした。
今宵は、お肉を食べる夢を見たい…
こんばんはまりなです。
突然ですが、
『恋妻家宮本』という映画を、見たことのある方はいますか。
二人とも大好きな役者さんなので、
前から気になっており、先週初めて見てみました。
ストーリーは、
優柔不断でちょっと冴えない国語教師(阿部さん)と
しっかりものの妻(天海さん)を中心に構成されており、
息子が結婚し、25年ぶりに夫婦水入らずの生活がスタートというタイミングで、
妻によって記載済の離婚届を夫が発見してしまうところから始まります。
その映画の中で、
ずっと頭から離れない言葉があります。
厳しい言葉を放つ、教え子の祖母に対して、
阿部さん演じるひとりの冴えない教師が発するセリフ。
「正しいけれど、優しくない。」
この言葉を聞いたとき、
心にブワっと広がって、
涙がツーっと流れました。
正しさと正しさはぶつかるけれど、
優しさと優しさならぶつからない。もっと大きな優しさになる。
正しいことも大切だけど、
優しいことはもっと大切なのではないだろうか。
この場面の言葉が、
ずっと頭から離れなくて、
忘れたくないと思っているからなのか、
何度も何度も頭の中で繰り返し、噛みしめています。
今までの人生を振り返ってみて、
「正しい」を振りかざす人に、出会ったことはありませんか。
その人に出会い、ぶつかり、
「正しいのはわかるけど・・・」
そんな気持ちを抱いたことのある人もいるのではないでしょうか。
また、同時に、
誰かに対して、「正しい」を振りかざしたことはないでしょうか。
「正しい」ことをする。
それが大切だと教わってきたとしても、
その「正しさ」を振りかざすことによって、
誰かが傷つくのであれば、
それは「正しい」と言えないかもしれません。
自分の正しさを主張する前に、
正しさを盾に、
誰かを傷つけてはいないだろうか…
難しいかもしれないけれど、
一度、そうやって立ち止まり、考えることが、
すごく大切なことなのではないかと思うのです。
これは私の見解ですが、
正しさと正しさのぶつかり合いは、
距離の近いもの同士で起こるのではないかと。
というのも、
距離が遠ければ、
つまり、その人がどうでもいい存在なのであれば、
攻撃を受けてもかわせるのではないかと。
近い人だから、解ってほしいから、
ぶつかるのではないかと思うのです。
例えば、
親しい友人、同僚。
そして、家族。
特に家族は、
一緒にいる時間の長いこの期間だからこそ、
そして心に疲労がでやすいこの期間だからこそ、
自分の「正しい」は、
正しいの前に、「優しい」のか。
難しいことではありますが、
たった一瞬、立ち止まることが、
大きな変化をもたらすことになるのかもしれません。
「正しいけれど、優しくない。」