29.3cmの靴が存在しない世界

29.3cmの靴が存在しない世界

382views

 

岡本の足はかなりデカい。靴選びには昔から苦労している。

お気に入りを見つけても、

 

「すいません、28.0㎝までしか…」

「そのサイズはちょっと…」

 

引き気味の店員さんにそうやってフラれ続けたものだから、

いつしか岡本は、サイズの条件を満たしたものから

お気に入りの靴を選ぶようになった。

 

 

また、岡本はかなりデカい。

昔からシャワーの固定位置に悩まされている。

 

どうしてシャンプーするだけのに、

こうも頭を下げさせられるのか。謝罪会見か。

洗面台もそうだ。あまりに低すぎないか。

サルのイモ洗いみたいになってる。

 

 

 

その不満をオモシロおかしく打ち明けても、

仲間から返されるのは愛想笑いだけだ。

 

岡本が面白くないのではない、

というか面白くないわけがない、そうじゃないのだ。

彼(女)らには岡本の気持ちが分からないのだ。

 

 

彼(女)らは、在庫切れこそあれ、

お気に入りの靴がこの世に存在しない事実に直面したことがないのだ。

 

彼(女)らの世界では、水勢の不満こそあれ、

いかなるときも、シャワーは天の恵みのように頭上から降り注ぐのだ。

 

そんな仲間たちに、岡本の気持ちが分かるわけがない。

 

 

 

しかし、

それは別に仲間が悪いわけでもメーカーが悪いわけでもない。

 

靴をつくろうと浴室をつくろうと、

メーカーは会社である以上、

そこで働く人たちのためにももうけを出さなきゃいけない。

 

もうけを出すには、

たくさん売れるものを、できるだけ少ない種類、たくさんつくればいい。

 

岡本サイズの靴がないのも、0.5㎝刻みでしか靴がないのも、

もうけを出すためだ。

(道具である靴に自分を合わせにいくとは何とも不思議な話だ。)

 

 

 

そう、誰も悪くないのだ。

 

 

誰も悪くないかもしれない、でも、誰かが息苦しい思いをする。

 

これは靴や浴室に限った話じゃない。

他の商品はもちろん、制度も、ルールも、価値観も。

 

 

それらはマジョリティ(多数派)に有利に仕立てられている

(マジョリティに有利だから残っている、ともいえる)だけで、

 

それらにうまくフィットできないマイノリティ(少数派)も当然いるのだ。

 

 

しかし、

大多数の人は、苦しむマイノリティにまったく気づかない、

いや、気づくことができないのだ。

 

 

蛇口をひねればいくらでも水が出るのが普通だと思っている人の目に、

今日を生きるために泥水をすする人の存在は映っているか。

 

 

学校に通うのが当たり前だと思っている人の目に、

学校になじめずどうしても通うことができない人の存在は映っているか。

 

 

健常者が、ふだんの生活で呼吸や鼓動をまったく意識することがないように

在る(合う)のが当然のものを疑うのは本当に難しい。

 

 

 

だからこそ僕らは、理解しなきゃいけない。

僕らが生きるのは、不完全で問題だらけの社会だってことを。

 

だからこそ僕らは、意識しなきゃいけない。

自分の「当たり前」や「常識」は本当に当たり前で常識なんだろうか。

 

だからこそ僕らは、配慮しなきゃいけない。

マイノリティである相手もまた自分たちと対等な存在として。

 

だからこそ僕らは、想像しなきゃいけない。

考えたこともない相手の価値観を理解するために。

 

だからこそ僕らは、考えなきゃいけない。

その事象や物事が存在するそもそもの目的を。

 

 

 

いまの社会に何らかの息苦しさを覚える人たちに伝えたい。

息苦しい原因はあなたにばかりあるんじゃない。

 

 

そして、

生きにくさを感じるあなたがいるからこそ、

この不完全な社会はよりよく変わりうる可能性を秘めているのだ。

 

排除されるべき存在?とんでもない。

あなたはいわば、この社会の、希望なのだ。

 

 

 

「標準」、「普通」、「一般」、「常識」、「当然」…。

それらの圧力に屈することなく。

 

 

 

あなたにしか見えない世界を、どうか大事にしてほしい。

 

 

 

 

カテゴリー

アーカイブ