閑かさや岩にしみ入る蝉の声
蝉の声から際立つ「閑(しず)かさ」が話題に上がるこの句の、
「しみ入る」という表現に、特に心ひかれる。
蝉から発せられた音たちが、立ちはだかる巌にとらえられる―
そんな情景を昔から思い浮かべては、
「しみ入る」に勝手な静寂を見出し、
なんかええ言葉やなぁと一人感じていた。
思えば、「しめやか」という言葉も好きで、
「しめやかな雨」とか、
静寂さをともなうそんな表現に、風情を感じていたのだった。
「やか」は接尾語だから、
やはりこれも「しむ」に由来するのだろう。
「しむ」は「染む」―。
白川静先生によると、
「染」という漢字は「水」+「朶」で、
垂れ下がった枝葉を水に漬けて色を染めることを「染」としたと。
「感染」、「伝染」、「汚染」…。
「染」は心象の悪い言葉とも結びつくが、
それらの熟語もやはり、
染料が糸や布に、静かに色彩の変化を与えるように、
何の前触れもなくいつの間にか広がっている様が、
「染」によって表現されている。
音を溶解した結果の静けさ、
そして浸透する過程の静けさ。
「しむ」が好き、というより
「しむ」をとりまく静寂が好きなんだろうなと。
いま思うに、その確証を得たのは、随分と昔に
絵画の世界に疎い人間が、
視覚的情報から静寂を“見た”初めての経験だった。
雪と闇に「しみ入る」ことでしか、
慌ただしい年の瀬の喧噪が、
こうも静寂に包まれることはないと思う。
今年も残すところ、あとひと月。
残念ながら、この11か月はお世辞にも良い年とは言えなかったのかもしれない。
心に静寂が訪れる機会はほとんどなかった。
でもだからこそ、
周りの存在の大きさに気づき、
彼(女)らの温かさ、優しさが心に染み入った。
これまた雪のせいだろうか、
「年暮る」の静寂には少なからぬ温かさを“見る”ことができる。
つくばには雪は降らないけれど、
ひとつここは仲間の温かさに甘えて、よい年暮れにしたいと思う。