わが子は親である自身の“分身”でもあり、“他人”でもある―。
その二面性で捉えることができれば、
ぎくしゃくしがちな親子関係が少しはマシになるのかもしれない。
子は“分身”だ。
あなたと同じ遺伝子を半分持つという意味でも、
あなたと同じ価値観や思考回路、習慣などを引き継ぐという意味においても。
「ベンキョウシロ」「ホンヲヨメ」「シュウチュウシロ」「ダラシナイ」
「シッカリシナサイ」「ヤルキアンノカ」「デキガワルイ」…。
勉強をしないのは、あるいは、本を読まないのは。
本当に子どもだけのせいだろうか?
子どもに向けられた言葉は、
そのままあなたに向ける言葉でもある。
子は“他人”でもある。
あなたが敷いたレールから脱線しようとするのも、
あなたのコトバを理解しないのも、他人だから仕方がない。
「ソンナクダラナイコトヲカンガエルナ」
「アナタノショウライヲオモッテイッテルノ」
将来のレールをひくのは、真っ向から否定するのは。
本当に子どものためだろうか?
子どものためにと向けられた言葉は、
得てしてあなたのための言葉でもある。
何かができるからでもない。
何かに秀でているからでもない。
何か才能を持っているからでもない。
何も持たずとも、誰かより劣っていようとも。
“分身”であろうが“他人”であろうが。
ただそこに存在してくれているだけで、
何ものにも代えられない絶対的な価値を持つ。
そう、子はなによりも、最愛の「わが子」なのだ。
今のままでも十分、ありのままのわが子を。
まるごと愛せるあなたであってほしい。