価値観を育む #01 「近代言語学から学ぶ価値観の捉え方」

価値観を育む #01 「近代言語学から学ぶ価値観の捉え方」

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みなさんご機嫌よう。

価値観を育む者、安部です。

 

さて、今回は価値観を育むシリーズ第1弾!
近代言語学から学ぶ価値観の捉え方についてお話させていただければと思います。

 

 

 

まずは近代言語学の祖と称されるソシュールの言語観を紹介しておきましょう。

 

「人は価値のあるものを区別するために言語(記号)を用いて連続体である自然を分断している、
これが文化の本質である。」

 

うーん、ちょっと難しいですね。少し例を交えて考えてみましょう。

 

 

例えば、3個の石が目の前にあって「これらは何ですか?」と問われれば、
三角形の石や丸っこい石があったとしても「3個の石です」と答えますよね?

なぜなら、それらの違いは僕らにとって価値のある重要な違いではない、
つまりどうでもいいからです。

 

一方で、3個の果物(りんご、みかん、すいか)が目の前に合って「これらは何ですか?」と問われれば、
「りんごとみかんとすいかです」と答えるはずです。

なぜなら、それらの違いは僕らにとって価値があり、区別するに足る重要なものだからです。

 

このようにソシュールは、言語というのはその実体を認識したいから発生するという
従来のラベリング的な言語観ではなく、人が価値を認め、他の何かと区別するために発生したと捉えたのです。

 

 

 

ここまで踏まえた上でなお、だからなに?と言いたくなるような気もしますが、これが意外と大事なんです。

 

それは、”価値を認め”という部分が民族によって、宗教によって、文化によって異なることを
前提にしなければ、価値観を学ぶことは到底できないからです。

 

 

例えば、日本人は蛾(ガ)と蝶(チョウ)を明確に区別しますが、フランス語圏の人は
いずれもパピヨンと呼びます。

「いやどっちもヒラヒラ飛んでる虫でしょ?なんか区別する必要あんの?」ということなんでしょう。

 

逆に、英語圏の人は白いウサギと茶色いウサギを明確に区別しますが、
日本人の僕からするといずれもただのウサギです。

いくらその違いについて説明されても「まぁ確かに色は違うけど、同じウサギじゃん。」
となるに違いありません。

 

 

その違いを生む背景にはその国の歴史や文化が影響してくるわけで、
言葉で説明されても分からないし、そもそも表現する言葉が無かったりするわけです。

 

 

だからこそ、僕たちは歴史を学び、言語を学び、時として現地に赴くことで、
その価値観をそのままの意味において捉える必要があるのだと思うんです。

 

 

そして、これは同じ言語を扱う人同士であっても、その人の生きてきた環境や思想といった背景を
理解せずには、本当の意味でその人の発する言葉、価値観を学ぶことはできないのです。

 

 

 

いやー哲学を解説するのって本当に難しいですね。

とある人から前回のブログが分かりづらくてつまらん、塾講師なら難しいことも簡単に面白く書きなはれ
とお叱りを受けたんですけど、むずいわ!笑

と、言い訳をしつつ、次こそはもっと分かりやすく解説するぞ!と意気込んで締めたいと思います。

それではまた来週お会いしましょう!

 

参考文献

『史上最強の哲学入門』(飲茶著、河出書房新社

『哲学と宗教全史』(出口治明著、ダイヤモンド社

『新訳 ソシュール 一般言語学講義』(フェルディナン・ド・ソシュール著、町田健訳、研究社)

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