昔から、「実績」という言葉に引っかかっていた。
塾や学校が、わがもの顔で「やったったでー」「すごいやろー」と
偏差値順に合格学校を誇示することに、違和感を覚える。
合格は誰の手柄か。当然、本人だ。
UTUWAの場合、自学が中心だからそれが分かりやすい。
紛れもなく、生徒が努力して掴み取ったものだ。
だから余計に「他人」のドヤ顔が気になるのかもしれない。
岡本自身も何度も経験があるが、
「合格できたのは先生のおかげです!」と、
生徒や親御さんからご丁寧にお礼の言葉を頂く。
確かに、サポートしたかもしれないが、
そんなこと言い出したら、
苦しい受験生活を支えてくれた家族、
勉強を教えてくれた学校の先生、
ともに支え合った仲間たち…
今まで出会った人全員に、お礼を言った方が良い。
皆で掴み取った勝利なんだから。
もちろん、学習塾である以上「合格」を求められるのは当然だし、
皆さんが合格実績をもとに塾選びしているのも知っている。
でも、それを承知のうえでなお、
やはり生徒たちの合格学校を公表する気にはなれない。
理由は2つ。
1つは、合格実績ではほとんど何も分からないから。
これについては多くを語るつもりはないが、
合格実績は、それを見る側に何を伝えられるのだろう。
先生のレベル?システムの良さ?生徒の学力層?成績アップ率?面倒見のよさ?
ご存知のとおり、合格実績ではただの1つも、まともに伝えられない。
(それをうまくごまかすのが、広報の仕事だ。)
そしてもう1つは、
UTUWAが「合格」だけを目的としていないから。
僕らの存在目的は「子どもたちが幸せになる」ことであり、
受験は1つのイベントでしかない。
合格したからその後の人生がハッピーなのか?
落ちたらその後の人生は絶望なのか?
1つのイベントの結果では何も決まらない。
子どもたちの幸せは、「合格」だけでははかれないのだ。
はかれないものを高々に掲げてもねぇ、という感じ。
かと言って、受験なんてどうでもよい、というわけではない。
受験は自分を成長させる絶好の機会だし、
UTUWAにも受験を目的とした高校生、浪人生は多い。
ただ、ほとんどの教育機関が目指すところの「合格」とは一緒にしてほしくない。
僕らが受験において目指すところは、
子どもを合格させることではなく、
「合格後が楽しみ」な子どもを育てることだ。
ちょうどこの記事を書く僕の横で
黙々と勉強している(と思ったら寝てる)中3生がいるが、
彼はまず間違いなく志望校に合格するだろう。
しかも、その他大勢とは別次元で。
自ら予定を立て、生活を自ら管理し、
自分で学力分析し、自らの課題を克服し
必要なところだけ僕らにアドバイスを求める…。
多くが塾や先生に依存して勉強するなかで、
これほど自考できる中3生はそうそういないと思う。
地に足つけて立つ彼は、何を選択し、どう歩むのか。
彼のこれからが本当に楽しみだ、
というのがまさに、「合格後が楽しみ」ということ。
合格して不幸せになってしまえば、元も子もない。
(なんなら、不謹慎な言い方が許されるなら、
「不合格でもその後が楽しみ」だ。)
したがって、ぼくらの「合格」は、合格実績でははかれないのだ。
だったら、実績を公表するメリットって何なんだろう、と。
子どもたちが成長し、自分なりの幸せに近づけたことを
表せるような指標があれば、大勢の人に自慢したい気持ちはあるが、
今の僕たちには、それをどう表現していいのか分からない。
よって、現時点で合格実績を公表するつもりはない。
たぶんこれからも。