失敗した人間への配慮が行き過ぎていないか

失敗した人間への配慮が行き過ぎていないか

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「…どんなものでも、何かを得るためには、それだけの努力が必要なのである。

 人が何かを得たときには、心から祝福してあげよう。人の成功は素直に受け止め、喜ぶべきだ。

 そういう場面で、その人がそうなって、自分がそうならなかったことを悲しむのは間違っている。

 その人はそれを手に入れるだけの努力をしたのだ。

 あなたが成功できなかったのは、それだけの努力をしなかったから。

 成功と失敗の違いを分けるのはその違いだけだ。」

(『超訳 ヒルティの幸福論 世界で一番幸せになる「思考力」』訳・解説 齋藤孝 4.他人の成功を素直に喜べる人になる より)

 

結果が出て喜ぶ人間を咎めるような雰囲気が、

結果が出ずに落ち込む人間を過剰に護るような雰囲気が、

教育現場で多すぎる気がする。
(教育の世界だけではないだろうけど、間違いなく。)

 

そりゃ、多少の配慮はあっていいと思うよ。

わざわざうまくいかなかった奴の前で、

まるでKOした相手を見下し侮辱するような
(格闘技の人たちが決してそう思ってるとは思わない。ただ、闘争本能を前面に出すからああなるだけで
 皆も理性のフィルターを外せば(内心思ってることをそのまま表出すれば)、あんな感じかもしれない。)

大げさなガッツポーズやドヤ顔をするのはいかがなもんかとは思うが、

たとえば受かったやつがその場にいちゃダメとか、一切喜ぶなとか、

それはあまりにおかしいんじゃないかと。

 

結果を出すやつは、結果を出すべく努力した、

結果が出ないやつは、結果が出るように、あるいはそもそも努力しなかっただけ。

そこには結果が出る理由も、出ない理由もきちんとあるわけだ。

 

指定校推薦で決まってラクしやがって…?

1年生のときから内申点を取り続ける難しさを分かっているか。
(まぁラクにいけるところもあるけどね)

 

まったく勉強してなかったのにたまたまいい点とりやがって…?

24時間そいつのこと見てたのか。いつからそいつが本格的に勉強始めたのか知ってるのか。
もっといえば時間なんて関係ないのでは。運も実力だろう。

 

 

素直に相手を賞讃できないのは、弱い人間がすることだ。

自分が傷つくのを、相手を攻撃することで回避しようとしているから。

 

相手や周りに恨みつらみ言う暇があるなら、

相手を見習いなさいよ。

 

本当は心の奥底で、今の自分じゃダメだって、分かってるんでしょ?

だったら今すぐ自分を変えなさいよ。

 

 

「出る杭が打たれる」、「出る杭自身が空気を読んで出ない」。

そんな風潮を変えうるファーストステップは、

結果を出した人間を素直に祝福することかもしれない。

 

結果が出なかった人間が、相手を素直に認められることは、

自分に足りないものを自覚すること、ひいては自己成長の意欲につながるかもしれない。

結果を出した人間が、自分と周りから祝福されることは、

充実した生を実感すること、さらなる自己成長の意欲につながるかもしれない。

 

 

自分が結果出てないのに相手を称賛するって、

めちゃムズいからね。

そのシーンで、何百回と失敗するでしょうね。

でも、それでもトライする価値はあると思う。

ぜひ頑張ってほしい。

 

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