試験に失敗して、落ち込んでいるきみを叱咤激励しようと思う。
厳しいことばも並ぶので、
まだ傷が癒えず、優しさを求める人は以下を読まずに、
こっちのラジオを聞いてほしい(本質的な部分は同じだけどね)。
本番にかける思いが強かった人ほど、
いまだに自分の失敗を受け止められていないかもしれない。
でも、これが現実。
今さら泣こうが喚(わめ)こうが手遅れだ。
その結果は、揺らがない。
ところが面白いことに、
ただ1つの結果に対して、原因は複数存在する。
もっと正確に言えば、
原因は「いくつでも設定できる」。
試験で失敗した。これが結果。ただ1つ。変わらない。
では、原因は?
体調が万全じゃなかったから、隣のやつがうるさかったから、自分と相性の悪い問題ばかり出たから…。
受験勉強を始めるのが遅かったから、部活ばっかりやってたから、もともと頭が悪いから…。
きみが望むだけ、望んだとおりに原因を生み出せるわけだ。
この「望んだとおりに」というのがポイントで、
まさにここで、きみの真価が問われる。
おおざっぱに言えば、
自分のせいにするのか、他のせいにするのか、そのどちらかだ。
この答えは一見明らかなようで、どちらがいいとも言えない難しさをはらむのだが、
いずれにせよ、
今の自分(あるいは自分を取り巻く環境)を変えない限りは、
これから先も同じような(決して望むことのない)結果にたどり着くことになる。
人は結果が出ないとき、
辛さや悲しみ、不安や怒りなど、負のエネルギーを量産する。
泣いたり忘れたりして気分転換しても、
心のモヤモヤが消えないことも多い。
なぜ負のエネルギーはすぐに消えてくれないのか。
それは、
「現状ではうまくいかない。変えろ。変われ。」
というもう1人の自分からのメッセージ、
そのメッセージをきみに届けたいからなんだと思う。
そのメッセージを、
歯を食いしばりながらも真摯に受け止め、
自他を「変化」する・させるためのエネルギーに変換するのか。
あるいは、
負のエネルギーをもっぱら、自分や他者に対する攻撃(人格否定)に消費して、
抜け殻のように無力になった自分で、一歩も動けずそこにとどまるのか。
先ほど、「結果は1つ」だと書いたけれど、
「結果をどう捉えるか」は事後的に変えることができる。
しかもそれは、結果を覆すのとほぼ同じ力を持つ。いや、それ以上か。
解釈を変えられるのは、現状を変えた未来のきみだけだ。
今回の結果は、
人生を成功へと導いた尊いきっかけだったのか。
それとも。
いつまでも引きずり続ける心の枷(かせ)をはめられた瞬間なのか。
すべては今のきみから始まる。
いや、
今のきみからしか始まらない。
人生の1回戦が終わっただけ。もう次の戦いは始まっている。
さて、きみは今からどうする?