「UTSUWA」の「S」はどこにいったんですか?という質問とセットで、よく聞かれる。
まず、「S」がないのは、そっちの方が文字全体の視覚的なバランスがいいから。
(全部のアルファベットが縦線に関する線対称になるでしょ?「UTU」の三文字でも。)
アルファベットで綴ったのは、そっちの方がカッコイイと思ったから。THE TANJYUN。
で、なぜ「UTUWA」かというと、お察しの通り「器(うつわ)」から取りました。
人としての「器」を育てる-
まずは「知」を湛えるための「器」を―…。
最初はそんな想いで名前をつけたのだけれど、今は少し違うことを考えている。
教育において一番大切なのは、ものを教える側の「器」、
己自身の「器」がストレートに問われるのが教育なんだなと。
自分の学力や思考力だけでなく、
向上心、好奇心、誠実さ、ユーモアさ、独創性、感性…
自分がこの世を生きて経験したことや考えたことすべてが
子どもたちと対峙するときに、試されているんだと思う。
そこから導くことができることは2つ。
1つ、己の未熟さを自覚すること、
2つ、だからこそ常に、教育する側が成長し続けること。
どんな質問にもどんな相談にも的確に対応できるのがベストだけれど、
たとえ日々成長し続けたとしても、それはなかなか難しいのが現状だ。
そんなとき、恥を忍んで「知らない」と言えるか、
その道のプロに頭を下げて教えてもらうことができるか。
つまり、子どもたちと一緒に己を成長させることができるか。
悪い意味で「大人」になって、
今頭にある既存の知識や経験だけで物事を判断していないか。
凝り固まった価値観で物事を見切ってはいないか。
柔軟性に富んだ、良い意味での「子ども」でいられるかどうか。
それらに気を配りながら、己の「器」をどこまでも広げようではないか。
他でもない自分自身への戒めとして絶えず啓示を与えてくれる―
「器」という名前の意味は、そこにこそあるのかもしれない。
そんなことを今は考えている。